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何のために書くの?

感謝の気持ちでしょうか、自分の亡き後は配偶者を大事にしてほしいということでしょうか、子どもたちには仲良くして欲しいということでしょうか。

もしかすると、生前の自分を理解してほしい、という気持ちをお持ちの方もいるかもしれません。

古代ローマのユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)は、暗殺されたときには既に遺言書を書いてあって、遺言書で初代皇帝アウグストゥスを後継者に指名していたと言います。

もちろん事実かどうかは知りませんが(^^)

そこまで大袈裟でなくとも、遺言は「後に残る人に言葉を遺すもの」で、言葉は気持ちをのせるものですから、やはり「どんな気持ちを伝えたいか」が一番大事です。

遺言(ゆいごん)は、それを書くものです。

そういう意味では、法的な効力うんぬんではなく、気持ちを伝えるための遺言書がもっとあっても良いのかもしれません。

ただ、法的に効力のある遺言書を書いてあげようと思って書いたのに、大事な時に効力がなかったというのでは、それこそ取り返しがつきません。

そのため、遺言のことをいろいろと説明する際には、どうしても遺言の形式的な面に説明が割かれてしまいがちですが、一番大事なところはやはり「何のために書くか?」ではないでしょうか。

遺言がどういうものかわかるためには、まずは書いてみてはどうでしょうか?

法的な効力、書き方のことなどは放っておいて、まずは書いてみましょうよ。

それを読む人のことを念頭において書いてみると、実に様々な思いが込み上げてきます。

書き始めは細かいことに触れながら書いてみても、そのうちに「いや、これは遺言書で書くほど重要じゃない」とか、「気に食わないこともあるけど最後には優しい言葉をかけてあげたい」とか、「そういうことのために自分は頑張ってきたんだよということを分かってもらいたい」とか、様々な思いが巡ります。

また、実際にそれを読まれるときのことを考えると、推敲を重ねるごとに文章が短くなるというようなことを経験するかも知れません。

そうして書いているうちに、「生きている今、それをするべきだよなぁ」と思い至って、書くのをやめるというようなこともあるかもしれません。

もしかすると、そのときから家族への接し方が変わるかもしれません。

いずれにしても、誰かに何かをしてあげられるのも生きている間です。

遺言書は、亡くなるときに書くものではなく、生きている間に書くものです。

15歳になれば誰でも書けますが、意思能力がなくなれば書いても無効です。

何のために書くか?

それを考えることで、あなたが何を大事に思っているかを、自分自身に思い知らせてくれるかもしれません。

いずれにしても答えはあなたの心の中にあります。